特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと」
特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと」
2023年はどんな年にしたいのだろうか?
「やるべきことをはっきりさせていく年」にしたいな。
自分を「ありのまま認めていく」ことが大事なのかもしれない。
イライラしていてもオッケー。
なんかいやな感じがしても大丈夫。
ただただ、素直に正直に自分を発信していく回数を増やしてみたい。
慌てない。
人に適切な形で頼りたい。
自分が日々何を感じているのかにより敏感にアンテナをたてたい。
何をしたいのか自分の内側に耳を寄せてみたい。
今できることから少しずつ無理をせずにちょっとずつでも、一ミリでも構わないくらいの気持ちで、たんたんとおごらずへりくだらずありのままそのままを、新鮮味を日頃からもって「今」を生きてみたい、本当は。
キラキラしてなくてもよい。
ひとから尊敬されなくたってよい。
目立たなくたってよい。
頑張りを誰かにみてもらえなくてもよい。
今、光がみえてなくたってかまわない。
自分に、「自分がなんにも持ち合わせていないと感じてもだいじょうぶ」って、言ってあげたい。
「大丈夫よ。大丈夫。」って言ってあげたい。
未来の自分を想像して、わくわくしてみよう。
無音、何にもしていない時間をつくって楽しんでみよう。
特別なことがない一日にも自分自身に丸を出して、なにもないことも、味わってみたい。
「ありのままの自分」を感じられる回数が、少しずつ、楽しみながら、新鮮さをいつも持ちながら、たんたんと、いつのまにか増えていくと嬉しい。
「わたしの2022年」は、一言で言うとするのならば、んーなんだろう?
「新しい環境の足がかり」だったのかもしれない。
会社を2021年の10月で5年間勤めていたところを退職して、そこからほぼ一年間なにも会社勤めをしない生活を送った。
その後バイトをスーパーでしはじめて、そっからプラスして、夜勤でコンビニでするようになった。
資金繰りが苦しかった。
お金が少ない。
お腹が減った。
さんざん悩んだ。
あせって頭に余計な力が入って、うんうんとうなりながら、迷いながら行動してみたりもして、余計なことをしでかしたりもした。
あせっていたり、スピード重視のときに限って、よくそういう結果を引き起こしがち。。。
「余計なこと」に対して、周りの人にさんざん嫌みみたいなこと言われたりもした。
自分の価値を正当に評価されないところに身をおいているような気持ちになり、寂しかった。
ただこれは、そこの環境がよいわるいというはなしではなくて、「自分の価値観」のセンサーが何かのお知らせをくれているというだけのはなしというのを、念頭には入れておきたい。
とはいっても、周りの環境の変化になかなかついていけていない自分もいて悲しくて、矢印を自分に向けることも多々あって、一人相撲をしていることもよくあった。
ちゃんと満足した環境を自分自身に整えきれなかったところで、自分に申し訳なさを感じる一年だった。